沿革・歩みHISTORY

創刊は明治37年。
日露戦争の年自由民権運動発祥の地に生まれる

1904(明治37)年9月1日に創刊された高知新聞の創刊号は全部で8ページでした。1面には、主筆・富田幸次郎の「発行の趣旨」が載っています。趣旨の冒頭には、「高知新聞生まる、何んがために生まれたるか、時代の要求に伴うて、我が県民と相携え、共に共に新天地を拓開せんとして呱々の声を揚げたるなり」とあります。言論の自由や議会政治など民主主義の原型を活発に議論していた高知において、その時代の要請に応じて誕生したと高らかに宣言をしたわけです。さらに高知県民としっかり手を取り合って、共に新たな時代を開拓していこうとも言っています。

その後、両世界大戦の中、新聞紙法や治安維持法などの国家による言論統制にさらされながら、終戦の年1945(昭和20)年11月28日付紙面においては、「不偏不党、厳正公平、世論の中枢機関、県民の公器たらんとす」と社是(会社の方針)を発表、さらに、「平和日本の建設と日本民主主義の確立に全力を捧げんとする」とも宣言をしています。高知新聞は、現在もそのジャーナリズムの使命を胸に刻み、県民、市民の視点から権力や社会をチェックする役目を果たしています。

創刊のころの本社幹部と若手社員たち

HISTORY高知新聞社の歩み

高知新聞創刊
板垣退助の創立した政治結社「立志社」の機関紙の流れをくみ誕生

四国で初めて石川式輪転機を導入

高知新聞筆禍事件(ひっかじけん)記事の内容で官憲に処罰される

県内初の近代式鉄筋コンクリート3階建て新社屋が落成

夏休み学習招待旅行スタート

夕刊4ページを発行

第1回赤ちゃん審査会(現・赤ちゃん会)開催

土陽新聞を吸収合併し、高知県唯一の日刊紙となる

高知市大空襲で本社全焼、タブロイド版1ページ建てで発行継続

高知県美術展覧会(県展)スタート

高新マラソンスタート

「こども高知新聞」創刊

こども県展スタート

高知県中学野球選手権スタート

本紙夕刊復活(戦時中休刊していた)

高新中学駅伝競走

ラジオ高知(現在のRKC高知放送)設立

金婚式スタート

テレビ放送開始

多色刷輪転機を導入

高知新聞厚生文化事業団を新設

日刊紙「新愛媛」創刊(昭和51年まで続いた)

職場早起き軟式野球大会スタート

高知広告センター設立

高知新聞急送設立

高知新聞企業設立

新装した高知新聞放送会館西館を第一会場として南国産業科学大博覧会が開幕

新聞業界初の新聞製作完全CTS移行全面実施

高知新聞放送会館全館(現在の本社社屋)落成

「生命(いのち)の基金」発足

県内初の常設展「高新総合住宅展」オープン

印刷工場〈東雲センター〉稼働

地方紙で初のカラーキーレス輪転機導入

高知県中学校サッカー選手権スタート

ふれあい高新スタート

ホームページ開設

創刊100周年を迎える

マスコットキャラクター「にゅーすけ」誕生

4コマ漫画「きんこん土佐日記」連載スタート

フリーペーパー「K+」創刊

フリーペーパー「ミリカ」創刊

印刷工場〈まほろばセンター〉稼働

独自の新聞制作システムを共同通信新聞製作共有システムに移行

電子版「高知新聞PLUS」スタート

ウェブメディア「ココハレ」スタート

夕刊休止後の新朝刊(統合版)スタート

新社屋移転

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